こんにちは。軽度知的障害&自閉症の長女(6歳)と、定型発達の次女をワンオペで育てているシェリーです。
突然ですが、うちの長女、これまでに保育園を4つ経験しています。
「えっ、4つ!?」とびっくりされる方も多いと思うんですが、これにはいろんな事情がありまして。今日は、発達グレー・特性ありの子を抱えながら戦ってきた、私の保活ストーリーをまるっとお話しします。
同じように悩んでいるママの、ちょっとした道しるべになれたら嬉しいです。
①地方時代:月10日の一時保育からスタート
長女がまだ小さかった頃、夫の転勤で地方に住んでいました。
そこで使っていたのが、月10日まで預けられる一時保育。9時から16時まで、地域の保育園にお世話になっていました。
「一時保育」って中途半端な響きだけど、私にとっては命綱。週に2〜3回、長女と離れる時間があるだけで、母としての自分を少し取り戻せたんですよね。
②東京転勤、3歳児クラスの壁
その後、東京に転勤。住むことになったのは、保活激戦区の世田谷区。
ここで最初にぶつかったのが、3歳児クラスの絶望的な空きのなさ。電話してもメールしても「空きはありません」のオンパレード。
なんとか見つけた1つの保育園は、3歳児クラスまでしか見られないところでした。「2年後にまた保活するのか……」と気が遠くなりつつ、ここで決断。
この園、預けて本当によかった
結論から言うと、この園に預けた意味は、ものすごくありました。
- 園児の人数に対して先生がたくさんいた
- 大人の目が行き届いていて、保育に余裕があった
- 特性のある長女を、暖かく迎えてくれた
- 園庭がない代わりに、毎日のように散歩へ
特に、散歩の効果は絶大。長女、この園で歩く体力をしっかり身につけてくれました。今でも私と一緒に長距離歩けるのは、この園のおかげだと思っています。
③次の保活:「絶対入れる」と思っていたのに
3歳児クラスの卒園が見えてきて、再び保活スタート。今度は次女も一緒に申請です。
私、正直、余裕だと思っていました。
というのも、保育園入園の優先順位を決める「調整点数」で、うちはかなり有利だったから。
- 3歳児クラスまでしかない園を卒園せざるを得ない児童への大きな加点
- 兄弟同時申請の加点
- 母(私)がフルタイム勤務
- 父が単身赴任
これだけ揃って入れない保育園、ある?って思ってました。
結果、姉妹別園
ふたを開けてみたら、次女は第一希望に入園、長女は空き枠ゼロ。
姉妹バラバラの送迎が始まることになりました。
ただ、実は長女が別園になる可能性は想定していて、第二希望に**「インクルージョン教育」を掲げ、クールダウンスペースまである保育園**を選んでいたんです。そこも激戦・人気の園だったけど、無事入園決定。
「インクルージョン教育の園に入れたんだから、ラッキーだったのかも」
そう思っていたのですが……。
④幻のインクルージョン教育
入ってみて、ガツンと現実を知りました。
掲げているインクルージョン教育と、実態が全く違ったんです。
- クールダウンスペースだと思っていた場所 → ただの物置だった
- 長女の特性を「受け入れる」というより「いてもいいですよ」というスタンス
- みんなで大縄跳びをする時、長女ができないと「嫌なら見ててもいいです」
私が思うインクルージョン教育って、「どうやったらみんなで大縄跳びができるか」を考えることなんじゃないかな、って。
でもこの園は、できない子はその場から外す、それで終わりでした。
療育への無理解
決定的だったのは、療育への理解のなさ。
「長女、療育に通っているんです」と伝えても、担任の先生はそもそも療育の存在を知らなかった。説明しても、理解しようとする姿勢はなく。
放っとかれている長女を見かねて、療育の先生に保育園訪問をお願いした日のこと。
事前に何度も日程を伝えていたのに、担任の先生はその日、シフトをお休みにしていたんです。
このとき、私の中で決まりました。**「ここはもう無理だ」**と。
⑤転園を見据えて、できることを全部やった半年間
実はこの園に入園した時点から、私はある作戦を進めていました。
それは、次女と同じ保育園への転園希望を出し続けること。
世田谷区の転園選考は毎月行われるので、空きが出れば即チャンス。でも、ただ待っているだけじゃ意味がない。「空きが出た瞬間、最優先で選ばれる立場」になっておく必要があったんです。
そのために、私は加点要素を1つずつ積み上げていきました。
取得したのは、2つの「手帳」
- 長女の療育手帳の取得
- 私自身の精神障害者保健福祉手帳の取得(うつ病)
療育手帳を取るって、結構勇気がいる決断でした。「障害」という言葉を、書類の上で受け入れることになるから。でも、長女がちゃんと支援を受けて、合う環境で育つために必要なこと。そう思って一歩踏み出しました。
私自身の手帳も同じ。当時、本当にしんどくて、毎日ギリギリだった。「ママが手帳を持つ」って後ろめたさもあったけど、それも保育園調整点数の加点になると知って、迷いはなくなりました。
子どものために、自分のしんどさにもちゃんと向き合う。それも保活なんだと思います。
そうして待つこと、半年
着々と加点を積み上げ、毎月の選考結果を待つ日々。
ようやく、次女と同じ園の枠が空きました。
すぐに転園手続き。長く、長く待った瞬間でした。
⑥本物のインクルージョン園で迎えた卒園まで
次女の保育園は、送迎の中で毎日見ていて、こう感じていました。
- 障害のある子がたくさん通っている
- それをみんなが当たり前のこととして受け入れている
- 「どうやったら一緒に遊べるか」を、先生も子どもたちも考えている
まさに、「どうやったらみんなで大縄跳びができるか」を考えている園だったんです。
長女が転園してきても、その印象は1ミリも変わりませんでした。長女は卒園まで、本当に暖かく受け入れてもらえました。
保活で見えた、本物のインクルージョン園の見分け方
4つの保育園を経験してわかったこと。それは、園見学の時にあるひと言を聞くだけで、本物かどうか結構わかるということ。
質問はシンプルです。
「発達障害のあるお子さんはいらっしゃいますか?」
この質問に対して、
✅ 「いますよ〜」と軽やかに答えてくれる園
→ 障害のある子がいることが当たり前。本物のインクルージョン教育をしている可能性が高い
❌ 「プライバシーのことで……」と言及を避ける園
→ 「特別なこと」として扱っている可能性が高い
❌「発達グレーのお子さんはうちには向かないと思います」とハッキリ言う園
→ 論外。(はい、実在しました)
これ、私の体感ですが、けっこう当たります。
子どもたちの「当たり前」をつくる場所
長女と次女は、結果として、障害のある子も当たり前のように社会の一部として受け入れる保育園で育つことができました。
これって、すごく大きな財産だと思うんです。
「困っている人がいたら、どうしたら一緒に楽しめるか考える」
この姿勢が、ふたりの価値観の根っこになってくれたら、ママとしてこんなに嬉しいことはありません。
同じ道を歩むママへ
保活って、定型発達のお子さんでも本当に大変。そこに「特性」というピースが加わると、難易度はぐんと上がります。
第二希望の園で味わったあの絶望感、忘れられません。「ここしか入れなかった、もうここでやるしかない」って自分に言い聞かせていた日々。
でも、動けば道は変わります。
合わない園は、合わない。それはあなたや子どもが悪いんじゃなくて、ただマッチングの問題。今いる場所がしんどいなら、転園希望を出し続ける、加点になる手続きを進めておく、そうやって**「動ける状態」をキープしておくこと**が、何より大切だと思います。
そして何より、いい園は本当にあります。
「あ、ここなら大丈夫」と思える日が、きっと来ます。
今、見学資料の山と格闘しているあなたへ。ひとりじゃないですよ。今日もおつかれさまでした。


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