こんにちは。軽度知的障害&自閉症の長女(6歳)と、定型発達の次女をワンオペで育てているシェリーです。
今日は、正直に書きます。
私、今、病みモードの真っ只中です。書きながら、ちょっと辛い。でも、書かないと整理できないので、書きます。
きっかけは、いろいろ
最初は、たぶん、身体検査の全項目再検査から始まっていました(5/12記事)。
毎週末、長女を病院に連れて行く。
長女、毎回イヤイヤ大暴れ。
そのたびに、力づくで押さえつけて検査を受けさせる。
そして、その結果、長女の耳を傷つけてしまったことが判明(6/6記事)。
このダメージが、まず大きかった。
パパ、土日も仕事
そして、土日もパパは仕事で不在。
これは、わが家の慢性的な状態。今に始まったことじゃない。
でも、**ダメージが溜まっている時の「不在」**は、普段の何倍も重く感じるんですよね。
親睦会、欠席にしました
そんな中、土曜日に予定されていた、普通級と支援級の親睦会。
内容は、ゲーム。
「みんなで楽しくゲームしましょう〜」というノリだったんですが、私は欠席にしました。
なぜ欠席にしたか
正直、こう思ってしまったんです。
「支援級の子と普通級の子でゲーム?
支援級の子たち、端っこで何が起きてるかわからないまま固まって終わるんでしょ?」
そして、
「その場に、パパ不在で行くことを考えただけで、もう疲れてしまった」
その2つで、心が「行きたくない」と言った。
無理して行く気力が、もう残っていなかった。
ママ友の一言
欠席する旨をママ友に伝えたら、こう言われました。
「親睦会、行かないんだ。長女ちゃん、可哀想だね」
その瞬間、ぷつん、と糸が切れた音がしました。
「これ以上、どうしろっていうの」
頭の中で、ぐるぐる回り始めました。
- 平日は毎日、放デイや習い事に連れて行ってる
- 朝も夜もワンオペで、子どもたちの面倒を見てる
- 仕事もしてる
- 検査にも何度も連れて行ってる
それなのに、長女が「可哀想」って言われる。
「これ以上、私に、どうしろっていうの」
そして、もう一つ、心の中で叫んでいた
ここ、書くか迷ったんですが、正直に書きます。
その「可哀想」と言ってきたママ友のお子さんも、療育や放デイが必要な状態なんです。
でも、仕事が忙しくて、放デイを見つけられず、毎日学童に行かせている。
それを知っている私は、心の中で、こう叫んでいました。
「私は、子どものために自営業になった」
「必死で放デイを探した」
「仕事しながら、送迎している」
「可能な限りの支援を、受けさせている」
「それでも、私の子が『可哀想』なの?」
これ、ママ友を責めたいわけじゃないんです。
ママ友の状況も、本当にわかる。仕事を辞められない、放デイは空きがない、学童に頼るしかない——これも、特性児ママの一つのリアル。
でも、そのママ友から「可哀想」と言われた瞬間、
「じゃあ、私の選択は、何のためだったんだろう」
って、6年間の自分の選択ぜんぶが、否定された気がした。
カフェのPCの陰で
その後、いつものようにカフェに行ってPCを広げたけれど、何も手につかなかった。
PCの陰で、こっそり泣きました。
仕事しに来たはずなのに、画面はメールを開いたまま。
手は、動かない。
頭は、無力感でいっぱい。
「もう、これ以上頑張れない」
それしか、考えられなかった。
週末、ずっと病みモード
子どもをお迎えしてからも、イライラが止まらなかった。
子どもたちのちょっとしたことに、怒鳴ってしまう自分。
「またやっちゃった」と思いながら、止められない。
日曜日は、子どもたちにYouTubeを見せて、私は泥のように寝た。
罪悪感を抱える余裕すらなかった。ただ、眠るしかなかった。
そして、日曜の夕方
少し気持ちが落ち着いてきた、日曜の夕方。
グループLINEのアルバムに、親睦会の写真が大量にアップされているのに気づきました。
嫌だなあと思いながら開いてみると。
写真の中身
ニコニコ笑顔の、普通級の子たち。
楽しそうに走り回る、普通級の子たち。
ピースサインを向ける、普通級の子たち。
何十枚もある写真。
そして——
支援級の子は、一枚も、写っていなかった。
「ほらね」
その瞬間、心の中で、冷えた声がしました。
「ほらね、思った通りだった」
私の予感は、残念なことに、当たっていた。
支援級の子たちは、たぶん、
- 端っこにいて、写真に入らなかった
- 写真に写すような瞬間がなかった
- もしくは、写真に写さない”配慮”がされた
どれにしても、「みんなで楽しくゲーム」とは違う景色が、そこにあったんだろうな、と思いました。
これが、普通級ママの視点
写真をアップしたママに、悪気はないと思います。
ただ、自分の子が写ってる写真を、たくさん撮って、グループに共有しただけ。
でも、その写真には、支援級の子の姿は、なかった。
「みんなの親睦会」って、誰の「みんな」だったんだろう。
そう思った時、私の中の**「欠席して正解だった」という気持ちと、「やっぱり社会の中で、私たちは見えない存在なんだな」という諦め**が、同時に押し寄せました。
月曜日の今朝
少し寝たら、心はちょっと落ち着いた気がしました。
でも、月曜日の朝、子どもたちは起きた時から、ぐずったり、喧嘩したり、駄々をこねたり。
特に、次女に意地悪する長女にイライラして、また怒鳴ってしまった。
「ああ、まだ私、回復していない」
そう、自覚しました。
今、カフェでPCを開いて
今、月曜日の午前中。
子どもたちを送って、いつものようにカフェに来て、PCを開いて。
でも、集中できない。
仕事をしようと思うのに、手が動かない。
ブログを書こうと思うのに、何を書いていいかわからない。
そして、結局、今この記事を書いている。
病みモードの真っ只中から、書いている、リアルな記録です。
なぜ「可哀想」が、こんなに刺さったか
少し冷静に分析してみると、「可哀想」という言葉が、私の一番触れられたくない場所にあったんだと思います。
私はずっと、
- 「長女を可哀想にしたくない」
- 「できる限りのことをしてあげたい」
- 「この子の人生に責任がある」
そう思って、6年間、走り続けてきた。
- 安定した会社員を辞めて、自営業になった
- 必死で放デイを2か所探した
- 仕事しながら、毎日送迎している
- 療育手帳を取得して、受けられる支援は全部受けている
- ホームヘルパー制度も活用している
- 週末も検査に連れて行っている
これ全部、「長女のために」やってきたこと。
それを、たった一言で**「可哀想」とラベリングされた瞬間**、
「私の6年間は、何だったんだろう」
って、すべてが否定された気がした。
たぶん、ママ友に悪気はなかった。普通の感想として言っただけ。
でも、私のコップは、もう満タンだったから、たった一滴で溢れてしまった。
そして、その翌日に見た写真が、私の予感の正しさを裏付けてしまった。
**「行かなくて正解だった」と「結局、私たちは見えない存在なんだ」**が、同時に確認された日でした。
ママの選択は、それぞれ違っていい
冷静になって、思うこと。
特性児育児に、「正解の選択」はない。
- 会社員を続けるママ
- 自営業に転身するママ
- 専業主婦になるママ
- 学童に頼るママ
- 放デイに通わせるママ
- 親に頼るママ
- 一人で抱えるママ
全部、その家庭にとっての最適解。
それぞれが、それぞれの環境の中で、ベストを尽くしている。
だから、他人のママの選択を「可哀想」と評価する権利は、誰にもない。
それを、今回、痛感しました。
私も、これからは、他のママの選択に「可哀想」と思わないようにしようと、心に決めました。
「行かない」は、正しい選択だったと信じたい
冷静に振り返ると、親睦会を欠席したのは、正しい判断だったと思います。
- 心がもう、限界だった
- パパ不在の場で、長女のフォローを一人でやる余裕がなかった
- 無理して行って、長女にも当たってしまったかも
- そして、結果として、写真に写らない側にいるしんどさを、私も長女も経験せずに済んだ
行かない=可哀想、じゃない。
ママが自分を守ることも、長女を守ることだと思います。
それを、自分にも、言い聞かせる。
同じく病みモードの方へ
もし、これを読んでいるあなたも、
- 「これ以上頑張れない」と思っている
- ちょっとした一言で、心が折れた
- 子どもに怒鳴ってしまって、罪悪感がある
- 他のママと比べられて、傷ついた
- 自分の選択を否定された気がした
- グループLINEを開くのが、しんどい
そう感じているなら、一人じゃないですよ。
私も、今、まさにそこにいます。
完璧な母親じゃない。
毎日笑顔のママじゃない。
病みモードに、何度も陥る。
それでも、生きてる。
それでも、子どもを送り迎えしてる。
それでも、カフェに来てPCを開いてる。
やれてる、だけで、合格点だと思います。
今日できそうなこと
病みモードの私が、今日、なんとかやろうと思うこと。
- ☑️ カフェで、お茶を1杯飲む
- ☑️ メールを1通だけ返す
- ☑️ 子どものお迎えに行く
- ☑️ 放デイに連れて行く
- ☑️ いつも通り、粛々と日々を過ごす
- ☑️ 早めに寝る
ハードル、ゼロレベルまで下げる。
それでも、今日を乗り切る。
それで、今日のミッションは完了。
明日のために
病みモードは、いつか抜ける。
6年やってきて、何度もそう経験してきた。
永遠に続く病みモードは、ない。
今は、ただ、やり過ごすだけ。
無理に立ち上がろうとしないで、地面に座っていていい。
私も、今、地面に座っています。
一緒に、しばらく座っていましょう。
今日もおつかれさまでした🌱


コメント